諸富祥彦ブログ 「ほんとうの人生」「真実の人生」を生きるために

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私はこれからどこに行こうとしているのだろうか。 いや真の問いはこれとは逆さ向きである。 私の人生は私をどこに導いていこうとしているのだろうか。 私のたましいに刻印されたミッションを成就させていくために人生は私にどのような出会いを準備してくれているのだろうか。 どのような出会いや出来事やハプニングが私を待っているのだろうか。 そしてそれはどのような仕方で私の魂のミッションと絡まりあっていくのだろうか。 日々私はそのことに思いを馳せている。
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どんな人のどんな人生にもミッション【使命】が与えられている。たとえ本人が気づいていなくても。暗黙のうちにそれは与えられ、それを実現するように絶えず人生から呼びかけられ問いかけられている。たましいはこの問いかけ呼びかけを感受しそれに呼応しようとしている。 それが私の命題だ。
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紅葉のきれいな季節ですね 昨日車窓から見た紅葉は狂い咲き…という言葉がぴったりくるこの世のものとは思えぬ圧倒的な美しさでした。 この世はあの世を あの世はこの世を 相互に映し出している。両者のあいだに絶対的な不可逆性があるのだとしても。 狂い咲き…好きな言葉です。 せっかくこの世に生を受けたのだから、あの紅葉のように、狂い咲きしたいものだと思う僕でした。
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いじめを受けている子が転校せざるをえなくなることがある。いじめがトラウマになって、学校に通えなくなるからだ。 おかしいと思う。 悪いのはいじめたほうだ。 なのにどうしてうちの子が転校しなくてはいけないの?その子とお母様が悔し涙を流す。 そんな場面が時折ある。 僕も悔しくて悔しくてたまらない。 その子を守れなかったことを本当に申し訳なく思う。 ごめんなさい。 そう言ってその親子に土下座して謝ったことが何度かある。 ただ土下座することしかできなかった…【涙】… いじめられた子が転校しなくてはならなくなるのは本当に理不尽だ…。 僕にできることならどんなことでもしていきたい。
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カウンセリングを受けに来るクライアントの方は何とか毎日をつないで生きている。 ふと思う。 僕もその点では変わらない。 1日1日をつないで何とか生きている。 僕のほうがもしかすると危ういのではないかと思うこともある。 それでいい。 というよりそうでしかありえない。 クライアントの方やワークショップの参加者や講演を聞いてくれる方や本を読んでくださる方や学生さんとのつながりがあるから、僕は何とか生き凌いで生きていることができている。 その自覚だけは大切にしていきたい。 みなさん一人一人に感謝しています。 ありがとう。
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誰もいない。誰もいない空間のなかで自分と向き合う。少しこわい。自分のなかにぽっかり開いた穴を見るのは誰でもこわい。自分が変わらざるをえなくなるから…。けれどもそこは自己変容の旅がはじまる【場所】でもある。
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今日カウンセリング学会がありました。全米カウンセリング学会という世界最大のカウンセリング学会の会長が講演していました。まずこの会長さんが抜群にカッコよかった。そしてカウンセリングの中心は問題解決でも症状の除去でもなく成長の援助だと名言していました。気づきと学びによる自己成長のカウンセリングを提唱してきた私としては嬉しくなりました。最近のスキル偏重の傾向にはかなり辟易していたので…。いつか自己成長カウンセリング学会をつくるのもいいかも、と思った次第です。
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昨日 NHKEテレ Rの法則にVTR出演しました。再放送あるかどうかは知りません。 孤独についての話をしました。 番組に出ていた高校生がひとりでいてもいいんだ ホッとした と言ってたと連絡をもらい出演してよかったと思いました。
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昨日荒川の花火をみた。一人でいくつもりだったけど、学生二人がいっしょに行ってくれた。少し嬉しかった。 花火を見る度に思うのは、その儚さが、人生と似ているということ。 もし僕の人生を花火にたとえるとしたらどんな色のどんな形の花火なのだろうか。
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NHKEテレのRの法則という番組の取材を受けた。大人になるということは、孤独力を身につけること、ひとりの時間を楽しめるようになること、と答えた。 その瞬間、その問いが自分自身に変えってきた。 そこで思ったこと。大人になっても孤独を感じなくなるのではない。いや大人になるほど強く孤独を感じる。どうしようもない寂しさに襲われる。ただ、大人になり、より深く自分自身を生きることができるようになるにつれて、そして個性化の過程が深まるにつれて、感じる孤独の種類が変化していく。寂しさの深さが違ってくる。 誰もが知っているこの人生の真実。さみしくない大人なんて誰もいない。 でもそのさみしさを多少の空騒ぎでまぎらわせながらも、ごまかすことなく、さみしさをさみしさとしてただ認めて、やさしく受け入れ抱きとめることができる。そんな大人で自分はありたい。 ちょっとやせがまんしているけどね。