諸富からのメッセージ 2010年10月

■こころの垂直軸を取り戻すこと。「深さ」の次元を取り戻すこと。それが、この世界を意味あるものとして受け取りなおし、人類規模のうつの進行から救うための根本的対応策である。

今日、ある新聞記者の方が「生きる意味」について取材にこられました(掲載は新年になるそうです)。

そこで私が答えたことの、ほんの一部は、次のようなことでした。

「今、この世界には、人類規模のうつが蔓延しています。
先進国の多くの人が、生きる意味と方向の感覚を失ってしまっているのです。

そしてその背景には、この世界を、のっぺりとして、まったいらな、フラットランドとしてとらえられなくなってしまっていることがあります。

今、人類に必要なのは、人間には本来、崇高な精神が宿っていること、それを取り戻すことが本来の生き方につながっていくことを思い出すことです。

言い換えれば、この水平化された平らな世界に「垂直軸」を取り戻すこと、崇高さや、深さといった次元を取り戻すことです。
生きる意味は、頭で考えて手に入れるものではありません。生きる意味は、考えるものではなく、感じるもの、味わうことのできるものです。大切なのは、こう生きればいいのだ、という人生の方向性の感覚を取り戻すことです。

しかし、こうしたこころの深さの次元に一人でいくのは難しい。必要なのは、こころの深い次元でつながっているつながり、深いところでつながっている関係です。そしてそのための最良の手段は、傾聴、ただ聞き流すような傾聴ではなくて、ともに深いところにとどまっていられるような傾聴、深い、ほんものの傾聴です。

深い、ほんものの傾聴を身につけ、実践する人が増えてくれば、自分の深いところに触れて生きていくことができる人が増えていきます。そしてそれがいつかは、この世界に「深さの次元」「垂直の次元」を取り戻すことにつながり、「世界規模のうつ」の感覚を減少させ・・・・・・・・何よりも、自分の深いところに触れて生きていくことができる人が、人類規模で増えていくことにつながるでしょう。

私は、このことこそ、今、世界でもっとも必要とされている内面的な、静かなる革命だと思います。

最近、見た映画でよかったのは「カラフル」と「食べて、祈って、恋をして」。「カラフル」は、子育て中の方や、思春期のお子さんにかかわっている教師やカウンセラーなど、すべての方々にぜひおすすめの映画。そして「食べて、祈って、恋をして」は、生きるのに迷い始めた女性が、たどる「自己変容の旅」の物語。カウンセリングや心理学を勉強している方なら、かなり楽しめると思います。「いいかね・・・・・何かに夢中になって自分を見失い、心の調和を崩すことも、より大きな意味でいうと、こころの調和を保つプロセスの一部なのだよ!」

<追記>
世界に蔓延するうつ的傾向について、最近思うことがある。その根本原因とは何であるかについて。

先進国で生きる多くの人にとって、人生はつまらないもののように感じられはじめている。先進国の多くの人がうつ状態にある真の原因はそこにある。つまり、うつとは、生きるのがつまらなくしか感じられない、この世界が陳腐で、まっ平らでつまらないものしか感じられなくなっている、ということにほかならない。それ以上でもなければ、それ以下でもないのだ。

私たちは、何か、ほんものにふれたときに、その独特の、熱さ、厚み、深さ、切れ味などを感じることができる。たしからしい手ごたえを感じるlことができる。そのときに、私は、この人生、この世界を生きるに値するものとして受け取りなおすことができるのだ。

ほんもののスピリリティはそこにある。
いわゆるスピリチュアルっぽいものの中に、私はスピリチュアルを感じることはない。それは、ほんものらしい輝きや空気を放っているものになら、どこにでも転がっている。たとえばコカ・コーラを飲んで、その完成度の高さにうなったことはないだろうか。そこにはスピリチュアリテイがある。

つまりはにせものと、ほんものの違い。アントニオ猪木のプロレスの動きに、私は完成された美を、この世とこの世を越えた何かとが交錯し、炸裂する超越的な美が輝く瞬間を感じることができる。

こうしたほんものの輝き、炸裂する美とそれが放つ熱に触れたとき、私たちは自分の人生を、意味あるものと実感して生きていくことができる。

人間が生きていくうえでこれ以上、不可欠なものはない。
うつが増えているということは、この世界に、ほんものを感じることが難しいと感じている人が増えているということだ。人間とは、なんだろうか。人生とは、なんだろうか。もし、こうしたほんもの輝きを感じ、生きる意味を感じながら生きていく、深さと、厚みと、時代の熱を感じながら生きていくのが人生なのだとしたら、いまのこの時代の、妙に乾いたこの感覚を伴うこの人生は、果たして人生といえるのだろうか。言葉にしなくても、先進国に暮らす私たちの多くはそう感じている。そしてその背景にあるのは、ほんものとにせものの区別をなくしてしまう、どれもおなじだよ、区別なんかしたいけないよという、相対主義的ムーブメントだ。

人類にとって、世界をまったいらなフラットランドにしてしまう相対主義ほど危険なものはない。それは、私たちの人生からほんものとにせものの区別を奪ってしまい、生きる意味を実感して生きていけるような有意義な人生につきものの、あの厚みと、深さと熱とを奪ってしまう張本人にほかならない。

相対主義に×を!

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