人類の「内的、自然発生的かつ 同時的な意識進化」プロジェクト
私はふと思うことがあります。
私を含めて、 私が同士だと感じることができる多くの人々は、見えない形で、 また意識せざる形で、「 人類の内的、自然発生的かつ 同時的な意識変容プロジェクト」に参与しているのではないか、と。それは言わば、現代バージョンの「神の見えざる手」です。
現代社会は多くの点で成熟しつつあります。多様性を尊重することができるようになり(例:LGBT)、 SNS の発展も手伝って人々が自分の考えを発信できるようになりました。 これは現代日本が成熟社会に向かいつつあることの大きな特徴ではありますが、いずれも水平面での(フラットランドでの)変化にすぎません。
そこには決定的な重要な何かが欠けています。
現在の水平面での成熟化(多様化の尊重)が十分に進んだ後に、 数十年の間に問われるのは、 より内的で、かつ、垂直的な方向での人類の意識の進化が成し遂げられるかどうかという点にかかっています。
- それは外から枠にはめられたり規定されたりすることによって成し遂げられる変化ではないでしょう
- それは予め設定された目標に向かうような変化ではないでしょう
- それは誰か特定のリーダーが掲げた目標に向かっていくような変化ではないでしょう
- それは個々人が自らの「内的な暗黙のもの」「 内側の レファラント」に意識を向けることから生じてくる変化でしょう
- それはひとりひとりが自らの「内側で感じられる暗黙のもの」と「論理や概念」との相互作用の中から生まれてくるものでしょう。感じられるものだけが大事なのではなく、 概念や論理だけが大事なのでもありません。大切なのはその相互作用です
- それは一人一人が自らの最も深いところからの動きに従っていくことから生まれていく変化でしょう
- つまりそれは「個々人の中で、内的に生まれ、自然発生的に生まれてくるもの」でありながら、「多くの人々の間で、内的に相互共鳴しながら同時発生的に生まれてくる変化」でしょう
- それは内閉的なものではなく、世界との関わりにおいて生まれてくる変化でしょう。またそれは内的な真理探究の限界の突破において、超越的なものとのつながりに開かれていく変化でもあるでしょう(内在即超越)
- それは「意識の変容」「意識の進化」といった言葉で表せる面もありますがそれだけでは十分ではありません。それは「価値観の変容」「倫理の変容」といった言葉で表せる面もありますがそれだけでは十分ではありません。それは「認知構造の発達」「精神性の発達」といった言葉で表せる面もありますがそれだけでは十分ではありません。それは同様に、「人格の向上」「精神性の向上」といった言葉で表せる面もありますがそれだけでは十分ではありません。「その全てに通じる何か」です。
この「見えざるプロジェクト」に参与しているという意味において、 私は確かに、人類規模の共同体感覚を持ちながら日々を過ごし、仕事をしているのです。