大いなるいのちの働き
生命エネルギーの渦
それがたまたま、この時この「私」という形をとっている
いのちが私している
むこうでは鳥という形
むこうでは花という形
そしてこちらでは石ころという形
たまたまこの時、この世界では、「この私」という形をとっている
この大いなるいのちの働きこそ、私の真の姿であったのだ
私の本体であったのだ
そうした気づきが生まれる時、
私というのは、いのちの働きが、たまたまにはこの時この場所でとっている一つの形にすぎないということに気づいた時、自分とは何者であるか、ということについての大きな立脚点の変更が生じる
いのちの働きこそ私なのだ
いのちが私している
私はいのちの働きを ただこの世界からの呼びかけに応じて、十分に表現していけば良いのだ