諸富祥彦ブログ 「ほんとうの人生」「真実の人生」を生きるために

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コロナのメッセージを聴く

みなさんは、こんには。 諸富です ワークショップに参加されている方、4月から7月に延期になりました。それまで、各自、自己探索の旅を歩まれてください。 コロナによって、巣ごもりの機会が多くなっていると思います。今こそ、世間との流れを断ち切り、洞窟に潜るかのようにして、「自己の内面と向き合い」よい機会です。 コロナによって、これまでの活動的な毎日が送れなくなりました。うつに近い状態の人も多いでしょう。私も、小学生の頃に肺炎で学校に行けなくなったことがあり、肺は弱いので、正直、とても怖いです。だからこそ、洞窟に潜るかのようにして、魂の文字を刻む必要があります。そう、遺書のようなつもりで。もちろん、健康には気を付けていますし、今のところなんの症状もないのでご安心ください。 コロナによって、世界全体が「うつ」状態になりつつあります。うつは、ディプレッション、de (下方に)press(押す)。つまり、下降していくのです。空騒ぎして軽躁状態で防衛せず、しっかりと、「下降」しましょう。内面に沈潜するのです。 これまでの自分に死んで新たな自分に生まれ変わるよい機会です。 ワークになじんでいる方は、「コ...
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人類の「内的、自然発生的かつ 同時的な意識進化」プロジェクト

人類の「内的、自然発生的かつ同時的な意識進化」プロジェクト 私はふと思うことがあります。 私を含めて、私が同士だと感じることができる多くの人々は、見えない形で、また意識せざる形で、「人類の内的、自然発生的かつ同時的な意識変容プロジェクト」に参与しているのではないか、と。それは言わば、現代バージョンの「神の見えざる手」です。 現代社会は多くの点で成熟しつつあります。多様性を尊重することができるようになり(例:LGBT)、SNSの発展も手伝って人々が自分の考えを発信できるようになりました。これは現代日本が成熟社会に向かいつつあることの大きな特徴ではありますが、いずれも水平面での(フラットランドでの)変化にすぎません。 そこには決定的な重要な何かが欠けています。 現在の水平面での成熟化(多様化の尊重)が十分に進んだ後に、数十年の間に問われるのは、より内的で、かつ、垂直的な方向での人類の意識の進化が成し遂げられるかどうかという点にかかっています。 それは外から枠にはめられたり規定されたりすることによって成し遂げられる変化ではないでしょう それは予め設定された目標に向かうような変化ではないでしょ...
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つねに「少数派の視点」から、徹底的にものごとを見る。寄り添う。守る。 ――カウンセリングを学んだ教師や企業人は、どこが違うかーー

つねに「少数派の視点」から、徹底的にものごとを見る。寄り添う。守る。 ――カウンセリングを学んだ教師や企業人は、どこが違うかーー 私はこれまで、カウンセラー(セラピスト)として、個人の悩みを聴く仕事をしてきました。 そして同時に、教育カウンセラー協会や各教育委員会の主催する研修会などを通して、あるいは保育カウンセラーの養成などにもかかわって、「先生方」にカウンセリングのエッセンスを伝える仕事をしてきました。 また産業カウンセラー協会などの研修にもかかわらせていただきました。 しかしそこで学ばれた方が、必ずしも、カウンセラーになるわけではありません。面接室で人の悩みを聴く仕事をされる方もいれば、そうでない方もいます。 そうであっても、カウンセリングの研修を受けることで、多くのことを学ばれると思います。またその方が成長されるだけでなく、学校や園、企業などで、その人にかかわる多くの人にもよい影響をもたらすことでしょう。 では、何が違ってくるのでしょうか。 カウンセリングを学んだ教師、保育士や、企業人と、そうでない人とは、何が違うのでしょうか。 つまり、教育カウンセリング、保育カウンセリング、...
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いじめに道徳の授業は有効か

ネットニュースや新聞記事など、さまざまな報道を見るとメディアの大半は、道徳の授業に対して、批判的である。とりわけ、いじめへの対応として道徳の授業は無意味であるばかりか、有害である、といった論調のものが多い。 そしてそのほとんとすべてが、現在、学校でおこなわれている良質な道徳授業のことを知らず、また調べようともせず、勝手な憶測と印象で断定的にものを語っているもんpばかりである。 まことに、残念である。自分が知らないことについて断定的にものを言うのは控えて、ちゃんと勉強してほしい。ストレートに言って、自分を恥じてほしい。 いじめへの対応として道徳授業が有害無益であるという論の前提には「道徳の授業は、道徳を教え込む時間である」「いじめはいけない、と道徳で教えたところでいじめはなくなりはしない」という考えがある。 そんな修身の真似事のような道徳授業を現場ではおこなっていない。少なくとも優秀な教師ならばおこなっていないはずである。 いじめは、してはいけないと何度教え込んでもいじめはなくならない。反発されてかえって、いじめは増えるかもしれない。 いじめ対応に、道徳の授業は有効か? 私の答えは、もち...
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「対話」という概念の持つ大きな可能性について

「対話」という概念は、成功する心理カウンセリング、 学校における授業( 本物のアクティブラーニング)、 精神科医療( オープンダイアローグ)、 企業の生産性の向上、あらゆる場面における生産的な会議などをつなげる大きな可能性を持っている。 カウンセリングも学校の授業も精神科のオープンダイアローグも生産的な会議もつまるところそれが 深まりのある対話たりえているかにかかっているからである。 「対話」は、そうした稀有な可能性を秘めた概念である。 そこで見逃すことができないのは、真の対話における、他者との対話と自己との対話の関係、二者関係や三者関係と自己関係との関係、対話における関係性と孤独の関係、言葉と沈黙の関係、明示的なもの(イクスプリシットなもの)のものと暗黙なもの(インプリシットなもの)の関係など である。 真の対話においては、 対話の深まりとともに、 自己との対話が深まっていく。 自己との対話の深まりこそ、思考の深まりにほかならない。 この自己との対話、思考の深まりにおいてこそ、対話がどこまで深まっていくかの成果が示されうる。自己との対話の深まりにともなって、言葉が消え、 沈黙の時間が...
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「ほんとうの人生」「真実の人生」を生きるために大切な6つのこと

このページを訪れている多くの方もそうかもしれませんが、私はずっと、この世界を生きていること、この世界に対する「違和感」のようなものを抱えながら生きてきました。この世界全体への違和感のようなものです。自分の魂が何か「ふさわしくない世界」に生まれてしまったのではないか。そうした違和感と言ってもいいでしょう。 自分は、「見えない世界から送られてきてこの世界を変容するように仕向けられたスパイ」であるかのように感じることもしばしばありました。 そんな生きづらい思いを抱えながら自己探究していった結果、現時点で、私は、「真実の人生」「ほんとうの人生」を生きていく上でもっとも大切なのは、次の六つのことを繰り返し繰り返し行なっていくことのように思っています。 1 「ほんとうからの直覚」に深くとらわれること 何が何でもそれを手にするのだという強い決意と覚悟。どこかに真実はあるのだ、ほんとうの人生はあるのだ、という強い確信にとらわれていること。私は真実の人生を生きるために最も必要なのはこの強い直覚に深くとらわれていること、そのためにならば、すべてを捧げてもかまわないという決意と覚悟をしていることであると思っ...
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いのちが私している

大いなるいのちの働き 生命エネルギーの渦 それがたまたま、この時この「私」という形をとっている いのちが私している むこうでは鳥という形 むこうでは花という形 そしてこちらでは石ころという形 たまたまこの時、この世界では、「この私」という形をとっている この大いなるいのちの働きこそ、私の真の姿であったのだ 私の本体であったのだ そうした気づきが生まれる時、 私というのは、いのちの働きが、たまたまにはこの時この場所でとっている一つの形にすぎないということに気づいた時、自分とは何者であるか、ということについての大きな立脚点の変更が生じる いのちの働きこそ私なのだ いのちが私している 私はいのちの働きを ただこの世界からの呼びかけに応じて、十分に表現していけば良いのだ
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内側からの革命

心理学で世界は変わる 心理学を伴わずして世界は変わることがない それは 内的世界の変容なくして世界の変容はあり得ないからだ 真の革命は「内側からの革命」という形を取らざるを得ない では世界はいかにして変わるのか それは私たち一人一人が真の自己、本当の自己へと近づいていくプロセスにおいてである 自分の内側に意識を向ける 内側に意識を向け、 内側と繋がり、 響かせしながら響かせしながら 生きる 自分の内側によりしっくりくる言葉やイメージや 動作などを探しながら 頭でだけで考えるを止めて 既存のパターンの堂々巡りから抜け出し 内側の暗黙の何かに触れながら、 それが表出されるような言葉やイメージや音楽やダンスを探し続ける その探究のプロセスにおいて 表出された新たな言葉やイメージや音楽やダンスと内側とが激しく相互作用する時 既存のパターンとは異なる「何か」が生まれる 新たな何か、が生まれる そしてその新たな何かは、同じ時代を生きる他の人々の内側と相互共鳴せずにいられない 同じ時代を生きる人々の集合意識と共鳴せずにおれない 新たな文化はこうやって創出される 新たな意識はこうして創出される その積...
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「見えない世界」はどこにあるのか

見えない世界は、遥か彼方のどこかもっと向こうにあるわけではない 見えない世界は、今ここにある 宇宙は遥か彼方のもっとずっと向こうにあるわけではない 宇宙はここである 見えない世界はここであり宇宙はここである エネルギー体は、ここに遍く存在している いのちの働きはここに遍く存在している 見えないいのちの働きに立脚点を置くならば、「私はどこから来てどこに行くのか」という問いのへの答えはこうなる 私はどこからも来ないしどこへも行かない 私はただここにいる 私は生まれる前からここにいるし、今もここにいるし、そして死んだ後もずっとここにいる 不生不滅のいのちの働き そこに意識の立脚点がシフトするならば、私はずっと前からここにいて、今もここにいて、そしてこれからもずっとここにいる その不生不滅の見えないいのちの働きが、今ここでは私という形をとっている いのちが私している それはこの世界で最も奇跡というほかない何かだ 今ここで見えない世界(究極の一)はただそのままで(「即」)見える世界という形をとっている 世界はただそのままで完璧なのだ 私の意識がここにあるということ 私が今ここにいてあなたの瞳を見...
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心理学で世界は変わるか

心理学で世界を変えることは可能か. この問いに対する私の答えはイエスである. なぜか 世界とあなたのことであるからだ 世界とはあなたである 世界とは私である 世界とは、あなたと、私と、さまざまな人々の間の「関係性」のような何か、だ。 あなたがいて、私がいて、その間に「関係性のようなもの」が生まれるのではない。 「関係性の総体のようなもの」(それは時として、雰囲気や空気のようなものとして立ち現れる)≒「世界」があり(interaction first)動いていて、その一端としてあなたが現出し、私が現出する だからあなたが変われば、世界は変わる 私が変われば世界も変わる あなたが変わり、私が変わり、それらの変化が相互に共鳴しあう時、その相互共鳴の中で生まれるうねりのようなものが、世界を変える いつの間にか、変わってしまうのだ 相互共鳴によるうねり、のようなものが生まれる時 一人一人の内面的な変容,自己変容は世界変容へとつながっていく